本「奇跡のコース」との出会い


「人と本との出会い」と「ゆるし」について


ソウルメイトとの出会いという運命的な出会いがあります。
それと同じように、本との出会いもそれぞれの機会があり、
とても大事な時期にその本に出会えたということに、感謝することもあります。

ガイドなどが、自分の読む本に導いいてくれたのだと思います。

ソウルメイトを研究するようになってから、
ソウルメイトに関係する本を沢山読みました。

題名を読むと、全く関係のないような本ですが、
その中に「奇跡のコース」があります。

これは、もう5年以上前、
日本では、邦訳もなく、個人で訳してくださった方のものを、
読んでいたころからになりますが、
沢山の、精神的な気づきを与えてくれた本でもあります。

とても、難解なので、とっつきづらく意味は不明だと思いますが、
今では、少しづつですが理解(この言葉も正しくありませんが)できるようになってきました。

その本と同じなのですが、
ソウルメイトに関係することも学び始めると、
魂はそのことに、強く共鳴するようになります。

色々な疑問も解け、それによって、ソウルメイトに出会える時が近づいてくるのでしょう。
そうしている時期は、物の見え方や、人間関係についての感じ方、
捉え方も変わってくると思います。

好きでは無い人に思える人も、
自分の学びのステップをしてくれた方だと気が付くようになれば、
また、ソウルメイトに近づいているのを感じることでしょう。

あなたも、そのような考え方を生活に応用できるようになれば、
きっと、いままでの異性の方との付き合い方に変化が訪れていると思います。

心を綺麗にすることは、過去のことを全てゆるすことが大切です。
私もそうなのですが、過去の恋人のことが自分の魂の伴侶にめぐり合う障害になっていました。
私の場合、離婚をしていましたので、それが特に強い障害になっていたと思います。

それを手放して、一般的な男女の関係の間違いに気がついた時に、
聖なる関係のパートナーが現れてくるのですね。


5、 

「私は、神が創造したままの私である。」

 

ア・コースイン・ミラクルズ レッスン162より

 

 

 

 

 

 

 

1,ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン79より

 

 2,「神の愛のほかに愛はない」ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン127より

 

  

3、本当の癒し

 

ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン140より

 

「救済だけが治癒をもたらすと言える。」

 

 

4、防衛について

 

 

 

ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン153より

 

「防衛しないことの中に、私の安全がある」

 

 5、「一なる命があり、それを私は神と共有している」~ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン167より

 

 

6、あなたが愛という存在であるという話です。

 

神は愛であり、だから私も愛である。」~ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン171から

 

 

7、「私は肉体でなない。私は自由である」ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン199より

 

 

 

1,ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン79より

色々、悩んじゃったり、苦しかったりすることって生きてるとありますよね。

 

今回は、そういう時にこころがちょっとでも軽くなればいいなと、こんなお話をしてみます。

 

 

 

「なにが問題なのかを知らなければ、それが解決されることはない。それが本当はすでに解決されていても、あなたがそのことを認識しなければ、あなたにとってはその問題は存続していることになる。これがこの世界の状態である。分離という問題が事実上ただ一つの問題であり、それはすでに解決されている。しかし、その問題が認識されていないので、解決法は認識されていない。」ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン79より

 

 

 

 

 

人生は悩みだと言われます。

 

でも、究極的には、悩みは存在しないというのが今回のテーマです。

 

問題は、そもそも、存在していないし、すでに解決されています。

 

 

 

ただ、人は、分離していると思い込んでいるので、問題があると認識しています。

 

そこで、悩んだりします。

 

問題を認識できていないんですね。

 

問題を認識さえできれば、解決されるということになります。

 

これに気がつけば、癒された状態になり、天国にいることに気がつくということです。

 

 

 

もうこれだけで、なるほどとわかっちゃった方もいると思います。

 

また、ちょっとわからない場合もあるかもしれませんが、こう考えることで、軽くなれる方もいらっしゃると思いますのでお話してみました。

 

 

 

 

ア・コース・イン・ミラクルズL83私の機能(はたらき)は、神が私に与えたものだけである。~怒った時に対処する良い方法~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を探求したり、自分とは何であるとか考えるときがありますよね。

 

 

 

でも、究極的には、全ては1つであるので、小さい性格の違いや好みのようなものは、本当の自分ではないのかもしれません。

 

 

 

真の自分は機能は、幸せであるので、苦悩を感じるときがあるかもしれませんが、それは、幻であることに気がつけば、本来の心の状態になれます。

 

そして、自分の機能は、赦しであると気がつけば、怒ったりすることも、減っていくとおもう。

 

怒ってる状態って、人によっては精神病の一種なのかもしれないので、これもエゴが作り出した幻想ですね

 

 

 

そう考えると、怒るのもばかばかしくなってきます。^^

 

 

不満を吹き飛ばす思考法「問題とは常に、自分が大切にしようとしている不満のなんらかの形」(奇跡講座レッスン90・1・2より)

 

 

 

自分に問題があると思ったりしますよね。

 

また、世の中に問題があると。

 

そして、怒りを感じたり、怒ってみたりします。

 

 

 

でも、その原因を探っていくと、自分が大切にしている不満ということらしい。

 

問題があると、勝手に思い、問題を作っているのは、自分の知覚であるということ。

 

ですから問題は究極的には、存在していないということですね。

 

 

 

わたしは、食糧問題をよくテーマにしてブログを書いていますが、これも自分が大切にしている不満のなんらかの形なんでしょうね。

 

これが理解できれば、わたしももっと気持ちが本来の安らかな状態に近づくのでしょう。

 

 

 

 というわけで、なにかに不安を感じたり、怒りを感じたときは、「問題は常に、自分が大切にしようとしている不満のなんらかの形」というのを思い出してみると良いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

本当のあなたについて。

 

 

 

私は創造主と一体の一なる自己である。」(奇跡講座レッスン95より)

 

 

 

自分を見失って、道を見失った時、思い出してほしいことがあります。

 

あなたは、創造主と一体の一なる自己であるということ。

 

創造主とは、解釈が人によって異なるため、あなたの現在受け入れられるもので、解釈しておいて構いません。

 

宗教的な軋轢を避けたいので、無限の叡智と考えても良いですし、宇宙の源と解釈しておいてもかまいません。

 

 

 

究極的には、あなたは、その宇宙と一体ということ。

 

 

 

自分は、何であるだとか、こうしなければならないとか、心のこだわりがあるかもしれない。

 

でも、そういう自分で作り出した自己は、究極的には、本来のあなたではないということを、知っておいたほうが良いということ。

 

 

 

たとえば、過去の自分と現在の自分は違うなんてことを言ったりしますよね。

 

自分で自分を定義したりすることも、自分が自分で作り出したあなたにすぎません。

 

ですから、あまり思い悩まないでほしいと思います。

 

 

 

もし、これに気がつけば、きっとあなたは、本来の自分を思い出すことができると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもあなたが心や身体に悩みや病気を抱えているなら

 

 

 

 

 

私のブログ、フェイスブック、HPへおいでくださりありがとうございます。

 

もし、あなたが、心や、身体に悩みや病気を抱えているなら、もしかしたら、今日の話は、役にたつことがあるかもしれません。

 

ただ、とても、常識を超えている話です。

 

ですから、この話は、心を開いて読んでくれるように願っています。

 

私たちが、心や、身体に何かしらの、障害を抱えているなら、それは、あなたの心の反映などに過ぎないので、本質をみれば、あなたの心は本来、綺麗なものであるということに気がつく筈です。

 

そうすれば、今、見ている、世界で、色々な、雑多な塵がついてしまったように感じる心も、きれいであったと気がつく筈です。

 

そうすれば、自然に、心も、身体も軽く「気を病むといわれる、病気」も無くなっていきます。

 

もし、そんな病気になっているなら、本来の自分を取り戻すことを思い出してほしいと思います。

 

 

 

ここで、神という言葉が出てきますが、宗教的な軋轢(あつれき)や、摩擦をさけるために、定義しておきますが、ここでは、近所の神社に住んでいたり、出雲大社のような社に住んでいるような、日本人のイメージの白い髭を生やした杖を持ったおじいさんであったり、西洋での悪いことをすると罰を当てるような怖い神様ではないことを断っておきます。

 

あなたが、宗教的なものを嫌う場合は、すんなり、宇宙とかんがえたり、その宇宙にみなぎっているエネルギーであったり、もしスピリチュアルな方でしたら、宇宙を包んでいる愛であると、ここでの神を考えてください。

 

では、今回は、本の引用から、お話や、解説をしていきます。

 

 

 

2,「神の愛のほかに愛はない」ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン127より

 

 

 

私たちの視覚でとらえている世界は存在していません。

 

 

 

 

 

究極的に私たちが存在していると思っている世界は、存在していません。

 

こういうと、驚くかもしれません。

 

人は、何かを見たいと思ったりしたときに、その存在を認めます。

 

ですから、あなたが、今、あなたが住んでいると思っている世界が存在していると思っているとすると、それはあなたが、自分で知覚したと思っているにすぎません。

 

 

 

視覚や、聴覚、嗅覚、身体の接触の感覚、舌触りによる味覚などを総合すると、世界が存在しうるような連立方程式をみるように、存在すると定義したくなりかもしれませんが。

 

 

 

たぶん、あなたは、あなたの住んでいる世界や、あなたの身体に幽閉されているように思えているかもしれません。

 

そして、あなたを制限したり、あなたの信じたりする法則や、あなたがあると思って探し求めるものなど。

 

でも、究極的には、存在していないので、いくら探しても見つからない。

 

 

 

ただ、時間も同じように、実際には、存在していないものですが、超時的な神の領域のみは、究極的に存在しています。

 

 

 

それが、神の愛のほかに、愛はないということと、一致します。

 

 

 

 

 

 

 

私たちの見ている世界は、存在していないので、神が一般には作ったと言われていますが、それは、間違いで、神は私たちの見ている世界を作ったりはしていません。

 

神は、存在しないものを作ったりしないからです。

 

 

 

神の世界というのは、物質の世界ではないので、死は存在していません。

 

 

 

真実は、神は愛です。

 

 

 

私たちは、すべて神の子であり、神の延長です。

 

 

 

ただ、それのみが存在しています。

 

 

 

もし、このことを、あなたの心が自然に受け入れることができれば、心が軽くなり、自然に病気も消えていくはずです。

 

どうぞ、静かな時間を取って考えたり、宇宙を感じてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、本当(真実)の癒し

 

 

 

もしもあなたが心や身体に悩みや病気を抱えているなら2

 

本当の癒し

 

ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン140より

 

「救済だけが治癒をもたらすと言える。」

 

 

 

 

 

 

 

現代は、身体だけではなく、うつ病や、身体の色々な病気に溢れているように見えます。

 

 

 

もし、あなたが、心や、身体に悩みや病気を抱えているなら、もしかしたら、今日のちょっと変わったこの話は、役にたつことがあるかもしれません。

 

 

 

 

 

ただ、とても、常識を超えている話です。

 

ですから、この話は、心を開いて読んでくれるように願っています。

 

 

 

私たちが、心や、身体に何かしらの、障害を抱えているなら、それは、あなたの心の反映などに過ぎない本質をみれば、あなたの心は本来、綺麗なものであるということに気がつく筈です。

 

そうすれば、今、見ている、世界で、色々な、雑多な塵がついてしまったように感じる心も、きれいであったと気がつく筈です。

 

そうすれば、自然に、心も、身体も軽く「気を病むといわれる、病気」も無くなっていきます。

 

もし、そんな病気になっているなら、本来の自分を取り戻すことを思い出してほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、本当(真実)の治癒についてお話します。

 

一般的な治癒という言葉は、この世界が価値あるともとして、見られていないと存在しません。

 

本当の治癒は、私たちが一般的に認識している治癒とは異なるからです。

 

普通、身体的な治癒は、肉体の病気を治したり、

 

良いものにすることだけを治癒と知覚しているからです。

 

また、心を癒すという時も、肉体の中に心があるという前提で、

 

心を治そうとします。

 

 

 

その認識によって、この世界に溢れている癒しの形は、

 

今見ている夢や、幻想を、別の夢や、幻想に取り替えるだけであったりします。

 

 

 

これは、根本的な癒しにはなっていません。

 

 

 

実際には、癒されていないので、自分が病気になったり具合が悪くなったという夢の中で、

 

自分を健康や、小康状態にしてくれるような健康法を見つけた(見つけたと思っている)だけです。

 

 

 

実際は夢を見ているのだから、本当の心は、変わりはないのです。

 

実際は夢から覚めていないのだから。

 

 

 

 

 

この考え方は、医学的な診断を否定するものではありません。

 

しかし、心の問題と肉体の問題が、

 

どのような関係にあるかを知る場合に

 

とても有用です。

 

 

 

 

 

 

 

もし、あなたがこのような肉体からのメッセージを上手に受け取ることができれば、

 

心が軽くなり、自然に病気も消えていくはずです。

 

どうぞ、静かな時間を取ってメッセージを受け取り、

 

自分の本来の自己を感じたり、宇宙を感じてみてください。

 

 

 

きっと、あなたの心も身体も本来の状態にもどり、

 

平安と、健康が戻るはずです。

 

 

 

あなたが、このメッセージを心を開いて受け取ることができ、あなたの人生に健康と癒しがもたらされ幸せな人生が訪れるよう祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもあなたが心や身体に悩みや病気を抱えているなら4

 

防衛について

 

 

 

ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン153より

 

「防衛しないことの中に、私の安全がある」

 

 

 

何故、人は、守ろうとするのか?という、お話します。

 

 

 

あなたが、もし、いつも、焦っていたり、何かに追いかけられているように感じているとしたら、心に安心した状態が得られていないかもしれません。

 

 

 

そのことによって、心の病気や、身体の病気になっている、または、その初期状態があるかもしれません。

 

 

 

あなたは、いつも生活していて、世界がものすごいスピードで変わっていくように感じているかもしれません。

 

成功している人が落ちぶれたり、何もないところから、運が悪かったことが起こって、とんでもないことになったり、そんな世界からの脅威を感じているかもしれません。

 

 

 

もし、そうなら、人は自分を守ろうとします。

 

世界が攻撃をしてくると感じるからです。

 

そんな状態で、心の平安があるはずはありません。

 

 

 

そんな脅威には、人は恐れや、怒り、不安を感じたりします。

 

 

 

人はそれに対して、防衛をしようとします。

 

防衛はこれによって、その恐れや怒り、不安を認めたこととして、確実なものと形をとります。

 

 

 

実は、これが二重の恐れ、怒り、不安になります。

 

 

 

これは、外からの恐怖が内側からも恐怖の攻撃にさらされたとこになります。

 

 

 

これはどこがそういうことをさせているのかというと、

 

やはり、自我がそうさせているわけです。

 

 

 

防衛は、根拠のない正義を正当化させるものです。

 

 

 

そして、自我がそうさせ、あなたの心は奴隷となります。

 

 

 

そうして、本来、安全であり、安らいでいる自分を脅威の只中に投げ込みます。

 

 

 

それに、気がついて、防衛を解いてみましょう。

 

防衛を解くということは、あなたが本来、強い存在であること、完全無欠であることを、思い出すこと、認識していたことを思い出します。

 

 

 

もしも、防衛しないならば、あなたの心は攻撃されることはありません。

 

 

 

それは、今、あなたが見ている、恐ろしい夢から覚める、また今いる真実ではないところを超えて、本来のあなたの姿を思い出すことです。

 

 

 

あなたは、本来、神聖であり、強さをもった完全なものです。

 

それを思い出すことによって、弱さは消え去り、あなたの心も、身体も、本来の状態に戻ります。

 

 

 

この考え方は、医学的な診断を否定するものではありません。

 

しかし、心の問題と肉体の問題が、

 

どのような関係にあるかを知る場合に

 

とても有用です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、神が創造したままの私である。」

 

ア・コースイン・ミラクルズ レッスン162より

 

 

 

この考えを正しく理解するだけで、もし、あなたが、自分を咎めようとするような気持ちになったりしていたら、そんな気持ちを解決することができます。

 

 

 

自分の心の反映は、世界の反映として映ります。

 

ですから、この考えを持つことにより、あなたの見ている世界は救われることになります。

 

 

 

 もし、あなたが自分を責めたりすることがあれば、そんな必要はないことに気がついてください。

 

 

 

 何故なら、あなたは、神(愛)が創造してままのあなたであるからです。

 

 

 

 ここでは、神という言葉が適切に思えるので使っているに過ぎません。

 

 

 

 言葉は、記号に過ぎないので、もしあなたにとって適切な言葉があれば、愛でもかまいせんし、宇宙のエネルギーでもかまいません。

 

 宗教的な摩擦をさけることと、あなたの心や見方を自然に戻すことが目的なので、あなたの受け入れやすい言葉に置き換えてみてください。

 

 

 

 この考え方で世界を見るようになったとき、諸々のこだわりによって生じた世界は消滅します。

 

 

 

 幻想は消え去って、本来の無垢なあなた本来の自分が見えてきます。

 

 

 

 あなたは、よく休むことができ、平安な心になり、安全であることを知ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命が一つのものであるという話です。

 

「一なる命があり、それを私は神と共有している」~ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン167より

 

 

 

私たちは、普通、命は別々のものとして考えていることが多いと思います。

 

肉体に囲まれた私たちの心がそれぞれ独立し合って、互いの命で影響し合って生きているように見えていることでしょう。

 

 

 

肉体は変化するもので、あなたではありません。

 

肉体を超えたところに、本来のあなたがあります。

 

その命は、一つのものです。

 

 

 

もし、あなたが、誰かから何か悪意のエネルギーを感じたり、誰かに対して怒りを感じても、それは、本来は存在していません。

 

また、お互い、攻撃したり、防御したりしているように見えているものも、自我がそう思わせているだけのものです。

 

 

 

本来の相手も攻撃してくるように見えても本当の相手は、それを超えたところに、本来の姿があります。

 

その命は、あなたの命とひとつです。

 

 

 

 

 

もし、あなたがこのような本来の命のありかたを思い出し、理解できれば、誰かに攻撃されて、自分は傷付いたとか錯覚することはなくなるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6、あなたが愛という存在であるという話です。

 

神は愛であり、だから私も愛である。」~ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン171から

 

 

 

私たちは、普通、自分はだめだとか、自分を否定的に考えてしまったりする時があるかもしれません。

 

でも、そういうものは、全て本当の自分ではない、自我の見せている幻想です。

 

本来のあなたは、愛という存在です。

 

不足もないし、既に完璧です。

 

 

 

 

 

肉体が私たちであるという考えが、脳も自分であるという考えに延長して、自分に対する不足感を作り出しています。

 

本来はそうではなく、心は一つであり、既に完璧であるということに気がつけば、本来の自分に気がつくはずです。

 

 

 

肉体は変化するもので、あなたではありません。

 

肉体を超えたところに、本来のあなたがあります。

 

本来のあなたは、愛であり、聖なる存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7、「私は肉体でなない。私は自由である」ア・コース・イン・ミラクルズ レッスン199より

 

 

 

驚くかもしれませんし、受け入れがたいことかもしれませんが、あなたの本質は、肉体ではありません。

 

あなたが、自分の肉体を自分の分身として見ている限りは、あなたは自分を自由であると認識することはありえません。

 

 

 

肉体を自分と思わせることは、エゴの策略です。

 

自分を肉体に閉じ込められた物と見て、その外側の物、

 

他人とか、外界とかを自分と分離したものと見るように、人はなっていることが多いのです。

 

 

 

そうすると、自分は肉体という牢獄に入っていると思うので、それをどうにかして、守ろうとします。

 

 

 

守ろうとするのは、その肉体を外界や、他人という物質的に分離したものが攻撃してくると考えているからです。

 

 

 

そう思えば、いつも、自分は、あたふたと、慌てふためいた存在であると思ってしまいます。

 

 

 

肉体の中にあると思うので、自由とは感じることはありません。

 

 

 

あなたの本質は肉体ではありません。

 

あなたは、本来、自由な存在であり、聖なる存在です。

 

それに気がつくと、あなたは、本来の自由であることを思い出します。

 

 

 

そうです。

 

あなたは、本来、既に幸せなのです。