1、神の存在について。 定義をして考える
2、神(別)の次元での物の見方について
1、神の存在について。
定義をして考える神の存在について、神が存在すると、言うひとと、自分は、無神論者であるという人がいます。
ただ、この議論を始める前に、神とは、ここで何を指し、何を意味するかを、定義しておかなければ、いけません。
例えば、
神は、究極の存在である。
神は、我々の良心である。
神とは、宇宙である。
神とは、エネルギーである。
などです。
究極の存在である。
というのは、何が究極なのかをまた定義しないといけないので、
これは、今回は、考えないようにします。
良心である。
と定義すると、良心が無い人もいるかもしれないのですが、
一般的には、良心は、あると思うので、
一般的な人には、神は存在する。
ということになります。
無神論者は、良心は、究極的に存在しないと考える人ということになります。
宇宙であると、定義したり、
エネルギーであると、定義したりすれば、
当然、宇宙も、エネルギーも、今、宇宙の中に存在していると考えている人や、
エネルギーを使って生きている人にとっては、
神は存在するということになります。
こう言っても、無神論者はいるかもしれませんが、
ほぼ、科学的に言って、神は存在するということになります。
以上のような、神をアインシュタイン的な神と、
とりあえず、ここで言うことにしておきます。
それとは、別に、
人間のように、人格があり、
怒ったり、罰を与えたり、自分の意にそわない人を、地獄に投げ込んだり、
そんなことをするような神がいるのか?
ということについてはどうなのかということになります。
これも、定義によって存在するかしないかが変わってきます。
たとえば、
神は、愛である。
と定義するとします。
ここでいう、愛とは、エロスの愛などではなく、
アガペーの愛のような慈しみなどを指す意味のものとします。
このように定義すると、
愛なので、怒ったり、罰を与えるなどというのは、
そもそも、神では、無いということになります。
まだ、続きは、長くなりそうですが、
今回は、この辺で。
今回は、神をどのように定義するかによって、
結論が変わる。
定義をしないと、そもそも、議論が成り立たないので、
感情的な議論になり、
いる。いないで、
収集がつかない。
という話でした。
2、神(別)の次元での物の見方について
飛行機事故や、災害が起こったりすると、神はいないのか?と思う人がいます。
そして、無神論を唱えたりする人がいます。
神はいないのでしょうか?
今回は、神の視点について話します。
まず、神は、何か、人間に得をさせるものであるという定義をする人がいます。
つまり、祈ったりすると、お金が儲かるようになる。
健康になる。
名誉が手に入るなどです。
考えてみると、自我を満足させたり喜ばせてくれるだけですが。
それが神様なら、経営者にとっては、経営を好転させてくれるコンサルタントの先生は、神様になりますね。
神様は存在するということになります。
病気を治してくれるお医者さんも神様になるので、
神は存在するということになります。
人間に得をさせる神を、一般的に、ご利益にある神様と言ったりします。
でも、人間の自我を満足させるようなこと。
つまり、ご利益のある、神様が存在するとする。
つまり自我にとって、全てを満足させてくれる神がいるなら、飛行機事故は、ないはずですね。
また、健康になる神様がいたら、
人は死なないはずです。
つまり、死にたくなったときだけ、死なせてくれるはずです。
そのように考えていくと、そのような神様は、存在しないという結論になる。
と考えるかもしれません。
ただ、ほんとうに、ご利益のある神様が、人間の為になっているのでしょうか?
例えば、人に得をさせる神様がいたとします。
どうぞ、宝くじを当たりますようにと祈ったとします。
ご利益のある神様がそれを聞いたら、宝くじで数億円を当てさせてくれるかもしれません。
ただ、本当に、人を思う神様だったら、そうするか疑問が残ります。
例えば、宝くじを当たらせたおかげで、その人が仕事を辞めるとします。
働くのが嫌になって、美味しいものを食べまくり、傲慢になって、お金がつきたときに、仕事もないし、働く気もなくなり、贅沢が身について、健康を害しているような状態になり困るようになったとします。
長い目で考えると、この神様は、人の為に良いことをしてくれたとは言えません。
たぶん、あなたが、神であったとします。
自分の子供が、宝くじに当たるようにと祈っても、当たるようにしないということに気がつくと思います。
神の視点とは、何かを推測してみます。
それを推測すると、人の生き死にや、お金、そして、健康などは、あまり神の視点や、価値観では、関係ないということが見えてきます。
そう考えると、飛行機事故を神が防がないということも分かってきます。
今度は、神の視点は、何かと考えてみます。
一つの仮設を立ててみましょう。
たとえば、精神の向上だという視点で神が見ているとします。
そう考えると、人が死を迎えたとしても、それには、残された人の精神の向上という目的があるというのが見えてきます。
そのような視点で見てみると、病気になることも、何か意味があるように思えます。
もちろん、死んだり、病気になることが良いと言っているのではありません。
ここまで、話していて、神はそのような視点で見ているのか?と思うかもしれません。
しかし、究極的には、神は、このような物質の世界には、関与していません。
でも、神の視点とは言えませんが、自我の視点とは、別次元の視点でものごとを見てみると、別のことが見えてきます。